他人を批判できるほど、全ての人が恵まれているわけではない

SNSを見ていて気づくことがあります。

それは、

  • 他の人の投稿に、はじめから全否定・全拒否・頭ごなしのダメ出しをする人がいる

ということです。

そういう方の場合、相手の人格すら全否定するような絡み方をなさったりします。

これまで私は

「あ〜、またこういうやり取りをしているんだ…。」

と思ってスルーしていました。

ですが、ある時、ふと気づいたんですね。

このような行為自体がいろんなことを孕んでいる、と。

今回は、そういう話です。

◆ 気づいたこと1 相手を全否定する絡み方ができるほど、人は恵まれていない

私は小説「華麗なるギャツビー」が大好きです。

小説はこちら

映画「華麗なるギャツビー」 主演 ロバート・レッドフォード版はこちら

映画「華麗なるギャツビー」 主演 レオナルド・ディカプリオ版はこちら

この「華麗なるギャツビー」の冒頭で、

  • もしお前が他人を批判したくなることがあったとしても、簡単に他人を批判してはいけない。この世の中の人全てが、お前のように恵まれているではないのだから。

というような意味合いの文章が出てきます(著作者のスコット・フィッツジェラルドや何人もの訳者の著作権を尊重し、小説のコピーではなく、似たような文章として書いてみました。)。

この文章は、たくさんの気付きを与えてくれる文章だと私は思っています。

この文章は処世術と見ることもできますし、人間の探究と見ることもできますし、驕り高ぶった自分への戒めと見ることもできますよね。

私は、SNSでよくみられる「他の人の投稿に対して、その人の全人格を否定するような絡み方をする人」は、この視点が向けているのではないかと思っています。

いくら頭が良くて、様々な物事を知っていたとしても、仮にSNS上であったとしても、他人の投稿に妙な絡み方をする人は「本当に頭が良い人のすること」だとは思えないんですよね。

SNS上にムカつく投稿や、つい反論したくなる投稿があったとしても、本当に頭が良い人ならもっと適切なコミュニケーションの取り方をするはずです。

こういうところに、人間として大切な部分の知性の有無が感じられるんですよね。

◆ 気づいたこと2 相手との良質なコミュニケーションの基本は、相手の承認

科学的に間違っていることを流布する投稿や、公序良俗に反する投稿はそもそも問題外ですが、SNSの投稿に対して、相手を認めないで全否定し、自分の反論を滔々と書き綴っている投稿をする人って、SNS上のコミュニケーション能力が低いですよね。

そういう投稿は、閲覧している人をあまりハッピーにしていないのではないでしょうか?

少なくとも私は、そういう投稿は見ないようにしていますし、基本スルーします。

逆にSNSでもメールでも、相手が目の前にいない状況でありながら丁寧に相手を尊重し、承認しながらコミュニケーションをとることができる人は、相手とスムーズなコミュニケーションが取れる人と言えます。

相手が目の前にいなくてもコミュニケーションで相手に不快な思いをさせない人は、人間関係のトラブルが基本的に少ないと思われます。

こういうちょっとしたところでも、SNSなどでは様々な人に様々な受け取られ方をしかねないんですよね。

人間って、同じ発言や文章であっても、どういうところに反応するかが多様です。

このことが分かっている人は、コミュニケーションに長けた方なので、あらゆる場面で良好な人間関係を作れたりします。

したがって、仕事でも良い結果を出しやすいんですよね。

◆ 気づいたこと3 相手の承認は、スムーズなコミュニケーションの第一歩

仕事でもプライベートでも、この承認無くして次はないですよね。

仕事で結果を出したい、部下の能力を引き出したい、上司と調和しながら仕事をしたいなどと思う人にとっては、承認ってすごく重要です。

承認を心がけるだけで、結果が自ずと出てきますよ。

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