ガッツだけでどうにかなるほど、世の中甘くない

人生を切り開き、荒波を乗り切って、自分が望む人生を送るには、何が必要でしょうか?

人によっていろいろあると思いますが、間違いなく“知性(インテリジェンス)”は必須ですね。

知性がなければ、これからの時代を生き残っていくこと自体が難しいかもしれません。

知性なき人材は、一層下流に流れていき、生涯平社員でいられれば良い方です。

今、世の中で“頭が良い”といわれている人のほとんどが、“知識”を豊富に持っている人です。

こういう人たちの努力は賞賛されるべきですし、尊敬の念を禁じえません。

ただ、そこで終わってしまうと、その後は危険なことになってしまうかもしれません。

なぜなら、極めて短期間で様々な状況が変化してしまう現代において、求められるのは“知識”だけでなく、“知恵”、“知性”だからです。

じゃあ、“知識”と“知恵”、“知性”はどう違うんだ?といいたくなるでしょう。

これを自分で辞書を引くなり、検索するなり、調べるということを自分ですぐにとりかかれる人は、“知性がある人”です。

自分が知っている範囲で考え、分からなければ「答えを教えろ!」という反応(感情や行動)が自動的に起こる人は“知性が欠如している可能性がある人”ですね。

この“「答えを教えろ!」という反応(感情や行動)が自動的に起こる”ということ自体がまた曲者でして、本人が気付かずにそういう思考回路をしているということなんです。

これは、あらゆることに自動的にそのように反応するわけで、しかもそれが周囲から指摘されないと気付かない“パラダイム外”の話しですからね。

これでも仕事が上手くいっているのであればいいのですが、仕事でトラぶったり、何度も同じミスをする人は、この反応そのものが“間違った反応を自動的にしている”ということです。

こういう人が企業の中で生き残っていけるわけがないんですね。

企業から見たら、こういう人には危なくて仕事を任せられませんから。

だからこういう人は出世もしないし、生き残っていくこと自体が難しくなってしまうんです。

私の経験上、仕事ができる人は須らく(すべからく)“知性”を持っています。

私の解釈では、“知性”は、その人の持つ知識・情報に、その人の経験が組み合わさり、更にそれを元に何らかの才覚を表すことができる能力のことを意味していると思っています。

平たく言えば、“知識”から新たな仕事を作り出したり、成果をあげることが繰り返し何度でもできる人は“知性”を持っているのですね。

こういう人材を、企業が必要としているのは明白ですよね。

ここまでお読みいただいて、今回のタイトルにある“ガッツ”が、企業が必要としている人材の要件において“必須要件”ではないことがお分かりいただけることでしょう。

(ちなみに、「じゃあ、ガッツは不要なのかよ!」と怒ったあなた。

「ガッツは不要」とは書いてませんよ。

“ガッツ”は備わっていた方が絶対に良いです。“ガッツ”が仕事のエネルギーの源泉のひとつであることは間違いありませんが、“ガッツ”だけで新しいビジネスを生み出したり、成果をあげることはとても難しいです。

だから、“ガッツ”は成果をあげるための“十分要件”ではあるのですが、“必須要件”ではないんです。

これを見落として、短絡的に「じゃあ、ガッツは不要なのかよ!」と怒った人は、自身の知性を見直す必要がありますね。

このコラムをお読みいただいている人に、そういう方はいらっしゃらないと思いますが、皆様の周囲には思考が短絡的な人はたくさんいるでしょう。

私の周りにもたくさんいますから・・・。)

これまで見てまいりましたとおり、“知性”とは、“知識”に“経験”・“才覚”・“センス”・“知恵”・“創意工夫”などが組み合わされて生まれ、その人の個性も混ざり合って身に付くものです。

20世紀はガッツだけでも何とかなった時代です。

高度経済成長の頃などは、まさにそのような時代だったのかもしれません(ちなみに私はその時代に生まれていないので、書物や人生の先輩が宝のお話しを“知識”として知っているという話しです)。

ですが、21世紀は“知性”の時代です。

“知性”の時代とは、努力が線形(努力したらその分だけ報われるという、相関係数が1.0の世界)で成果に結びつく時代ではないのです。

いまだにガッツでだけで何とかなると思っている人は、本当にヤバイと思いますよ。

ここ最近、大手企業に勤務している高学歴の若い営業職を見ていて、あまりの考えなさ過ぎっぷりに衝撃を受けました・・・。

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