面白い記事を見つけました。
時流にあう人、あわない人。「有能」の定義がほんの15年で大きく変わる。
この記事では、“最近15年で、企業内の優秀な人材が営業職から他の職に移り変わっている”ことが指摘されています。
2000年以降、特にここ数年では、例えば人工知能の飛躍的な学習能力の高まりによって、さまざまな意思決定や事業活動・営業活動・社内業務等が最適化されるようになってきました。
ある企業では、パイロットで特定の地域の営業にのみ、人工知能を営業活動の最適化に用いました。
その企業では、
- 従来どおり“営業が自分で作成した訪問計画通りに活動した”地域の販売実績
- “人工知能が導き出した訪問計画通りに活動した”地域の販売実績
と比べたところ、人工知能が導き出した訪問計画通りに活動したほうが、販売実績が高かったそうです。
そこで、この企業は全社で人工知能によるターゲティングと訪問計画の立案を実施し、営業はその訪問計画通りに活動するようになりました。
このような事例は、他にも何社もあり、上記同様の取り組みが始まっていきます。
従来、企業で優秀といわれていた営業は、
- 販売実績が常に目標を達成できている
- 顧客との良好な人間関係が構築できている
- 新製品の新発売時には、最速のスケジュールで担当先と契約できた
などができる人でした。
でもそれが、2000年以降、この20年でガラッと変わってきました。
あらゆるデータを集め、人工知能に学習させ、分析させれば、従来の“かす”データでもビッグデータになれば何らかの意味を持つ結果を導き出せるようになりました。
そしてそのデータを活用すれば、きちんと成果が挙げられることもわかってきました。
このあたりのお話は、名著“ビッグデータ・ベースボール”でも詳細に記載されています。
このような仕事の仕方に変化してきたら、経営者としては“腕の立つ営業職”よりも“腕の立つアナリスト”、“腕の立つスペシャリスト”、”腕の立つデータサイエンティスト”、“腕の立つマーケター”などをより高く評価し、重用します。
経営者としては自社を世の中にマーケティングし、社内にひとりでに仕事が回り、売上が上がる仕組みを作りたいと考えますから、当然ですね。
このように時代が変わっていくと“有能”、“優秀”であることの定義や、“有能”、“優秀”の意味すらも変わってきます。
しかもその変化の時間が以前に比べてずいぶん短くなり、今では15年で変わったようです。
営業職向けの昔のビジネス本を振り返ってみて見ますと、1960年代の高度経済成長からバブル直前の1990年頃までは“有能な営業職”の定義があまり変わっていないようですから、バブル以前の30年通用した“有能”の尺度が、15年で変わったとも見ることができますね。
おそらく今後は、もっと短い時間で“有能”の尺度が変わることでしょう。
それくらい社会の変化の方が速いですから。
だとすると、仮に“有能”の尺度が15年だったとしても、新卒~35歳くらいまでであれば65歳で退職するまでに最低2回は“有能”の定義が変わることになるでしょう。
40歳代であれば最低1回は“有能”の定義が変わります。
“有能”の定義が変われば評価も変わりますから、今まで有能だった人材も、見方の変化によって凡庸な人材になってしまうかもしれないということです。
これは、“凡庸な人材”とレッテルを張られた人にとっては雇用の危機となります。
企業によっては、凡庸な人材をいつまでも抱え続けていられるだけの体力がないところもありますからね。
これからのビジネスの世界で生き残りたければ、私も含め、全員が社会の変化に鋭敏になり、あらゆるところから学び、自らの価値を高めながら、新しい社会・新しい仕事・新しい働き方などに自分をアジャストさせていくしかないかもしれませんね。
“有能”の定義が変わるということは、さまざまな変化に対応せざるを得ないということですし(対応しなければ没落するだけかもしれません。そうならないかもしれません。)、新たな価値が生まれる機会でもあります。
あらゆる機会を最大限に活かすのが、優れたビジネスパーソンなのかもしれませんね。
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