ポジティブシンキングという言葉が大嫌い

久しぶりに、100%私自身についてこのコラムで書いてみましょう(「今まで散々好き勝手書いてきただろうっ!」っていうツッコミは無しって方向で)。

ビジネス本とか自己啓発本とかに、

  • 「ポジティブシンキングが大切!」

とか書いてることって多い気がしませんか?

そして、このような表現に対して、皆様はどのように思いますか?

今回は、私がこのポジティブシンキングに対して思うところを書いてみます。

◆ そもそも巷で言われているポジティブシンキングって何?

巷に多数あるポジティブシンキングに関わる書籍を見ていくと、ある傾向が見て取れるように私は思っています。

それはなんだと思いますか?

皆様、ここでちょっと考えてみて下さい。

(ここでさっさと読み進めてしまったあなた、自分で考えることを放棄することは極めて危険ですよ。

アホなマスコミに踊らされたり、あなたを利用しようとする人たちに好き勝手にあなた自身が食い散らかされますよ。

日本には真のジャーナリズムは存在しませんし、マスメディアがどのようなビジネスモデルで成り立っているかをよくお考えになった方が良いです。)

本屋さんに行って、ポジティブシンキングについて触れている書籍を見てみて下さい。

それらの書籍には、

  • ネガティブシンキングは良くない
  • ネガティブシンキングを否定しよう
  • ネガティブシンキングは、様々な良くないことの原因
  • だから、ポジティブシンキングが大切
  • ポジティブに物事を考えられれば、いろんなことが好転する

のような表現を目にすることでしょう。

これは、ネガティブシンキングとポジティブシンキングが対比され、対になって考えられているということです。

これが何を意味するのかというと、分かりやすく例えれば、巨人対阪神みたいなものなんです。

バルセロナ対レアル・マドリードみたいなものなんです。

巨人には阪神が必要(成り立たない)なように(伝統的な野球ファンならわかってもらえるかも)、バルセロナにはレアル・マドリードが必要(成り立たない)なように(クラシコファンならわかってもらえるかも)、相対する何かがあることで自分が存在するという関係なんですね。

つまり、ネガティブがあってこそのポジティブだということです。

これが巷で言われているポジティブシンキングの本当の姿なんです。

◆ じゃあ、真のポジティブシンキングって何?

真のポジティブシンキングなんて、私はないと思っています。

強いていうなら、わざわざポジティブとつけない人としての在り方が極めて大切なんです。

人をあるがままに存在させた、人を尊重した態度です。

そもそも、人様をポジティブシンキングとネガティブシンキングなどと区別すること自体、人様に対して不遜な在り方なんです。

人間というものへの探究不足です。

人間に対して理解がなさすぎるんです。

私は、無数の私という人間を生きています。

皆様もそう生きているはずなんです。

生まれてからこのかた、毎年毎年歳を追うごとにあらゆる場面で様々な自分が出てくるはずなんです。

様々な出来事や環境の変化のたびに、自分自身が成長したり変化し、自分自身が多面的になり、人間としての深みが増していきます。

そのような人生を生きていれば、自分自身が多面的であればあるほど、様々な自分が出てくるんです。

そして、それぞれの自分がその都度様々な場面で悩んだり、深く考えたりしたことが、たった2つのポジティブシンキング / ネガティブシンキングに分けられるはずがないんです。

人間はそんなに単純にできていませんから。

苦しい思い、楽しい気持ち、辛い心情、切なくて張り裂けそうな胸の痛み、退廃的な思いに沈む瞬間、自虐的になる時、相手を心から愛したいという願望などなど、あらゆる気持ちの変化があってこその人間ですから。

そう考えると、人間とは極めて複雑な生き物で、単純にポジティブだのネガティブなどの割り切れるものではないことがすぐお分かりいただけることでしょう。

だから、私はポジティブシンキングという言葉が大嫌いなんです。

人間の本質を全く捉えていないので。

安易にポジティブシンキングなどという人や書籍、風潮などには、絶対に騙されないでくださいね。

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